文芸批評家から憎まれる作家?

 1982年7月*日、ぼくは久我山に住む友人のマンション宅で、数人の大学生や専門学校生たちと、これから撮影に入る自主映画の打ち合わせをしていた。狭い一室に朝から何人もの男女が出入りしていて、顔見知りも何人かいたものの、ほとんどは当日初めて会う仲間たちだった。
 台本のチェックする者あり、ロケ先の手配をする者あり、雑然とした雰囲気の中、昼近くになって誰かが不意に「今日は村上春樹の載っている『群像』が出る日だよな」と声を挙げる。それじゃ買いに行って来るよ、と入口近くのフローリングに座り込んでいた一人が部屋を出て行ったが、しばらくして帰ってくると、「だめだ、どこの本屋も売り切れだった」と告げた。
 
 デビュー作『風の歌を聴け』から3年、村上春樹初の本格長編となる『羊をめぐる冒険』全文を一挙掲載した文芸雑誌『群像』1982年8月号は、発売当日、瞬く間に全国の書店で売り切れたという。上梓する新作が、フライドチキンかクリスピー・ドーナツのように売れ、読まれてしまう作家。その勢いは、デビュー以来四半世紀を経た今日も変わることはない。
 戦後、これほど圧倒的なポピュラリティーを持続的に獲得し得た作家は、村上春樹を措いてほかに見当たらないだろう。日本中で最も読まれた恋愛小説『ノルウェーの森』『ダンス・ダンス・ダンス』をはじめ、意表をつくピンク色の筺に司修の装丁・挿画が美しい『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、ノモンハン現代日本を繋ぐ年代記ねじまき鳥クロニクル』、インターネットを駆使して作家と読者のインタープリターを試みた『海辺のカフカ』…。近年では、創作活動の舞台を海外に移し、海外で読まれる量が国内のそれを上回っているという。
 
 そしてまた、村上春樹ほどデビュー時より主だった評論家から冷遇された作家もいないだろう。同時代の作家としてしばしば比較される村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川龍之介賞を受賞したのに対し、村上春樹はついに芥川賞を取ることはできなかった(辻仁成柳美里と同時受賞>や金原ひとみ綿矢りさらにはあれほど気前よく進呈した日本文学振興会が──それは同じくついに芥川賞に縁がなかった島田雅彦にも当て嵌まることだが)。
 
 内田樹は『村上春樹にご用心』という著作の中で、批評家たちの村上春樹に対するルサンチマンを、複数のテキストを通じて以下のように指摘、列挙する。

――どうして文芸評論家たちは村上春樹をあれほど嫌うのか(略)。批評家の過半は「無視」または「否定」である。
『すばる』の蓮實重彦の発言(『AERA』)を見せてもらったけれど、すごい。
村上春樹作品は結婚詐欺だ」(そのときだけは調子のいいことを言って読者をその気にさせるが、要するにぼったくり)というのは、批評というよりほとんど罵倒である。シンポジウムの締めでの蓮實の結論は、「セリーヌ村上春樹ならセリーヌを読め、村上春樹を読むな」というなんだかよく分からないものであった。 (『After Dark till dawn』)

――ここには「世界がハルキを読む」というという名目で多くの国々と言語を出自とする方々が集まっているわけですが、ここに招待されていない言語と国家はどうなっているのでしょうか。どうして春樹のアラビア語訳やウルドゥー語訳が存在していないのでしょうか。これは言語をめぐる政治の問題です。はたしてバグダッドピョンヤンでは春樹は読まれているのでしょうか。世界がハルキを読む。大いに結構です。だがその場合の「世界」とは何なのか。端的に言って勝ち組の国家や言語だけではないのか。ここに排除されているのは何なのか。誰なのか。 (『無国籍性と世界性』、『文學界』に寄せた四方田犬彦の発言)

――言葉にはローカルな土地に根ざしたしがらみがあるはずなのに、村上春樹さんの文章には土も血も匂わない。いやらしさと甘美さとがないまぜになったようなしがらみですよね。それがスパッと切れていて、ちょっと詐欺にあったような気がする。うまいのは確かだが、文学ってそういうものなのか。 (『なぜ村上春樹は文芸評論家から憎まれるのか?』、毎日新聞「この一年・文芸」に寄せた松浦寿輝の発言)

 きわめつけは、「死を覚悟した」批評家・安原顯が、村上春樹の直筆原稿を無断で古書店に売り払ってしまった事件だ。村上春樹は、『文藝春秋』2006年4月号に、「ある編集者の生と死――安原顯氏のこと」と題する以下のような文章を載せている。

――そしてある日(いつだったろう?)安原(顯)さんは突然手のひらを返したように、僕に関するすべてを圧倒的なまでに口汚く罵倒し始めた。(略)その批判のあまりの痛烈さに僕は度肝を抜かれた。そこには紛れもない憎しみの感情が込められていた。一夜にして(としか思えなかった)いったい何が起こったのだろう? いったい何が、安原さんをして僕の「敵」に変えてしまったのだろう? 正直言って、僕にはまったく見当がつかなかった。 (『村上春樹恐怖症』)

 村上春樹の作品群、それは文学ではなく、商品である。だから、ふだん詩や小説など読まない(ドストエフスキーを読まず、カフカを読まず、フローベールを読まず、あるいは蓮實流に言えばルイ=フェルディナン・セリーヌを読まず、漱石、鴎外を読まず、吉増剛造古井由吉などはその読み方すらも知らない)若者たちにも読まれてしまう。それで、文学が分かったつもりになる。文学賞にはムラカミハルキの出来の悪い亜流の作品が殺到する――。およそ、「心ある」批評家たちの「集合的憎悪」の正体とは、そんなところだろうか。
 
 だが、内田樹は、彼ら評論家たちに向かって、次のように言うことを忘れない。
 「けれども、日本の批評家たちは今のところ『村上春樹に対する集合的憎悪』という特異点から日本文学の深層に切り入る仕事に取り組む意欲はなさそうである」と。