作家は「政治的な押しつけがましさ」にどう抗するのか

エルサレム賞村上春樹さん 「壁」の国がたたえる自由(www.asahi.com 2009年2月10日10時50分)
 
 作家村上春樹さん(60)がイスラエル最高の文学賞エルサレム賞に決まった。63年に始まった隔年の賞は、エルサレムの国際ブックフェアで「社会における個人の自由」に貢献した文学者に贈られる。
 受賞者には、バートランド・ラッセルボルヘスオクタビオ・パスJ・M・クッツェーアーサー・ミラーら著名な名前が連なる。日本の作家として初めての受賞は、めでたいはずだが、思い浮かんだのは「壁」である。
 村上さんの長編小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」には、「高さは七メートル、街のぐるりをとり囲んでいる」壁が出てくる。越せるのは鳥だけで、門しか出入り口がなく、外の世界へ行く自由がない。
 いま、イスラエルは、パレスチナ自治区の周囲に、もっと高い、それこそ鳥しか越せない壁を築いている。今回のガザ攻撃では、逃げ場のない多くの子どもを巻き込んで、1300人以上の死者が出た。
 15日の授与式ではエルサレム市長から賞は贈られる。エルサレムにも壁がある。ユダヤ人の苦難を象徴する「嘆きの壁」だけではない。67年の第3次中東戦争イスラエルが占領・併合した東エルサレム地域の周囲にも、高い壁が築かれているのだ。自由をはばむ「壁」と「個人の自由」という言葉の落差に目がくらむ。
 いま、ウェブ上では「パレスチナの平和を考える会」(役重善洋事務局長)などから、ガザ攻撃直後に受賞する「社会的・政治的意味」を考えてほしいと、再考を求める意見や署名運動がある。逆に現地をじっくり見てレポートするように求める声もある。01年に受賞した米国の故スーザン・ソンタグさんは、受賞講演でイスラエルパレスチナ政策を批判した。
 最近の村上さんは、共同体の記憶、社会の闇をみつめる大事さを強調し、日本のナショナリズムの高まりを警戒していた。世界のムラカミとしてどんな受賞講演をするのか気になるが、関係者によれば「現地の政情の問題もあり、最終的には参加できるかどうか未定」という。
 

 村上春樹の海外における国際的な文学賞の受賞は、2006年の「フランツ・カフカ賞」「フランク・オコナー国際短編賞」に次ぎ3回目。
 
 サルトルは『言葉』(Les Mots)によって1964年度のノーベル文学賞に選ばれたが、「いかなる人間も生きたまま神格化されるには値しない」と言ってこれを辞退した。一方で、一部のNGOや文学愛好者たちは、イスラエルのガザ侵攻に見るように、『贈る側が「社会における個人の自由」を口にする資格はない』ことを理由として、村上春樹に「エルサレム賞」の受賞を辞退するよう働きかけているという。イスラエル政府による武力行使外交政策における「非=人道性」については語るまでもないが、同時に、その対岸にあるこうした「政治的な押しつけがましさ」もまた、ムラカミ文学が最も嫌悪し、忌避するものの一つなのではなかったか。 

村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判 (www.asahi.com 2009年2月16日8時27分)
 
 イスラエル最高の文学賞エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレムで開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。
 
 ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子どもや女性も多かった。このため日本国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めていた。
 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。
 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる。
 
 村上さんの「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」など複数の作品はヘブライ語に翻訳され、イスラエルでもベストセラーになった。
 エルサレム賞は63年に始まり、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に隔年で贈られる。受賞者には、英国の哲学者バートランド・ラッセル、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスチェコの作家ミラン・クンデラ各氏ら、著名な名前が並ぶ。欧米言語以外の作家の受賞は初めて。
 ただ中東紛争のただ中にある国の文学賞だけに、政治的論争と無縁ではない。01年には記念講演でスーザン・ソンタグ氏が、03年の受賞者アーサー・ミラー氏は授賞式に出席する代わりにビデオスピーチで、それぞれイスラエルパレスチナ政策を批判した。