太宰治 生誕100年 ――神話、安部公房、大江健三郎

 太宰生誕100年を迎え、各地で記念イベントが催されるという。津軽の名家の子として生まれ、終生、出自に深い負い目を抱き続けた太宰治。100年経って、その名家・津島の名は、自民党第2の巨大派閥である「平成研究会」の通称に冠せられている。
 
 没後60年となる昨年11月には、集英社新書より、太宰の肉筆原稿412枚を収めたヴィジュアル版『直筆で読む「人間失格」』が刊行された。まだ、文学が芸術としての血脈を保っていた70年代までは、こうした作家の生原稿を紹介する写真が、文芸雑誌や研究書のグラビアページをしばしば飾っていた。明治・大正期の文豪はもとより、昭和の作家でも三島由紀夫大江健三郎、中上健二らの肉筆はいかにも個性的で、決定的だった。一方で、フロッピー入稿を文壇で誰よりも早く先取りしたのは安部公房ではなかったか。1周忌に当たる1994年1月22日、箱根の仕事場に残されたフロッピーディスクから発見され、出版されたのが『飛ぶ男 The Flying Man』だ。
 
 安部と大江は長らくポスト三島時代の日本現代文学における双璧と見なされていた。言葉を徹底的にそぎ落とすことによって独自の世界を浮かび上がらせる、いわば「消しゴムで書く」安部に対し、初稿から「吹き出しを多用し饒舌に言葉を積み重ねていく」大江と、その創作手法も好対照だった。その大江の近作、『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』が7日、中国の出版界で最も権威ある文学賞の一つ、「21世紀年度最優秀外国小説」を受賞したという。
 
 生誕100年というと、昨年国家を挙げて100歳の誕生日が祝われた人類学、神話研究の巨星、クロード・レヴィ=ストロースの名前を思い出してしまう。かつて、若者に人気のある太宰治は「青春のはしか」と揶揄的に評されていた。今日、その太宰文学が現代の「引きこもり文学」の始祖と目されるとすれば、なんと貧困な想像力だろうか。ぼくは、神話的説話構造をそなえた僅か3000字余りの掌編『黄金風景』を、涙なしに読むことができないのだ。