ナパーム弾の少女

ナパーム弾被害の少女、来日へ ゆるす心、4月に講演 (www.asahi.com 2013年03月22日16時57分)
 
 1970年代のベトナム戦争中、ナパーム弾の炎に肌を焼かれ、裸で逃げる少女の写真が世界に伝えられた。その少女は後遺症を負いながらも生き延び、カナダに亡命した。憎しみを乗り越えてゆるしを説く写真の少女、キム・フックさん(49)が来月、日本で初めて講演することになった。
 
 フックさんは9歳だった72年6月8日、旧サイゴン(現ホーチミン)郊外の村で、南ベトナム側の戦闘機が投下したナパーム弾の被害に遭った。全身を炎に包まれ、燃える服を脱ぎ捨てて「熱い、熱い」と泣き叫びながら走る様子を、現地にいたAP通信の写真記者が撮影。世界に配信され、この写真は翌年、米ピュリツァー賞を受賞した。
 
 AP通信の記者は撮影後、すぐに重傷を負ったフックさんを病院に運んでいた。入院生活は14カ月に及び、退院後も合わせ17回の皮膚移植を繰り返した。一命を取り留めると、今度はベトナム政府が被害国のシンボルとしてフックさんを利用。外国記者の取材を受けさせられ、政府の宣伝映画にも出演させられた。
 
 当時は学校にも行かせてもらえず、勉強して医師になりたいというフックさんの夢は妨げられた。閉塞感にかられ、人生の目的を求めて図書館で本を読むうち新約聖書にめぐりあう。このとき、自分自身の心が自由になるため「ゆるす」ことを知ったという。
 
 86年に薬理学を学ぶためキューバに留学。92年に当地でベトナム人と結婚し、新婚旅行の途中でカナダに亡命した。その後、2人の息子を出産。現在は米国などで講演活動を続ける。講演の様子を伝えた昨年7月13日付の朝日新聞国際面の記事が名古屋市中村区の牧師で元名古屋学院大学長の梶原寿さん(80)の目に留まった。
 
 梶原さんは「海を越えてこの声を届けたい」と日本講演を熱望。だが、フックさんには後遺症もあり、当初は「長旅はしづらい」と伝えられた。それでも、健康状態を確認しながら粘り強くやり取りを重ね、ようやく日本での講演にゴーサインをもらった。
 
 梶原さんは、米公民権運動の指導者として活躍したキング牧師の研究家でもある。フックさんの語る「ゆるし」が、キング牧師の演説で名高い「I HAVE A DREAM(私には夢がある)」に盛り込まれた、敵対する相手を愛する気持ちに重なったという。「ゆるしは自分自身が憎しみから救われること。私の中でフックさんの言葉はキング牧師の姿と一致した」と梶原さんは語る。
 
 講演は4月13日(土)午後7時から8時半まで、名古屋市中村区名駅4丁目の「ウインクあいち」で開かれる。東京では15日(月)午後7時から東京都千代田区丸の内1丁目の「サピアタワー」5階、福岡では18日(木)午後7時から福岡市早良区西新6丁目の「西南学院大チャペル」でそれぞれ開かれる。参加費はいずれも千円。名古屋会場についての詳細は名古屋中村教会(052・411・8024)へ。東京、福岡会場についてはキャンパスサポート西南(092・823・3576)へ。