ヒガシノカゼ、アメ

「ヒガシノカゼ、アメ」 外交文書に真珠湾奇襲時の暗号 (www.asahi.com 2013年03月07日11時57分)
 
 日米や日英関係の緊迫を知らせる暗号「ヒガシノカゼ、アメ」や「ニシノカゼ、ハレ」――。1941年の真珠湾攻撃の際、気象情報を装った暗号を海外向けラジオで放送したと当時の日本の担当者が認めていたことが、7日に外務省が公開した外交文書で判明した。真珠湾奇襲を許した米側が、暗号発信の経緯を熱心に調べた様子もうかがえる。
 
 「ヒガシノカゼ」が日米関係が緊急事態に陥った際に放送される暗号だったことはこれまでも米側の資料などで示されているが、今回、戦後の米側の聴取に対し、日本当局者がこうした暗号を実際に放送したと認めた文書が公開された。
 
 真珠湾攻撃をめぐる暗号電文では、攻撃を命じた「ニイタカヤマノボレ」や、奇襲成功を示す「トラトラトラ」が知られているが、在外公館や海外居留民向けにもラジオ放送で暗号が流されていたことになる。
 
 公開されたのは、1945年11月に米占領軍の将校が、開戦時に外務省電信課長だった亀山一二氏らから聴取した内容を日本側が記録した文書。
 
 米国は外務省が開戦前の41年11月19日付で在外公館向けに打電した「ラジオで『ヒガシノカゼ、アメ(東ノ風、雨)』が流れれば、日米関係は危機を示す。暗号書類を燃やすように」との電文を直後に解読しており、これをもとに将校が聴取。放送の正確な日時や放送方法、放送命令の経路のほか、暗号の起案者がだれかも問いただしている。
 
 亀山氏は当時の電信事務を担った職員は過労死したとしつつ、暗号放送が「行われたりと聞き及べり」と認め、その時期を41年の真珠湾攻撃の前日か、当日にあたる「12月7日、8日ごろ」と回答。放送は外務省の局長などが協議して決めたことや、別の同省職員が放送目的を「在外居留民の保護措置」と説明していたことも記載されている。
 
 ただ、NHKがまとめた「20世紀放送史」によると、12月8日午前4時少し前に担当アナウンサーが突然、「ただいまから天気予報を申し上げます」と前置きし、「ニシノカゼ、ハレ」と繰り返し放送したと当時の職員が回想している。真珠湾攻撃が始まったのは同日午前3時19分だ。
 
 米側が開戦前に入手した日本外務省の電文では、旧ソ連との関係危機の場合は「キタノカゼ、クモリ」、対英関係は「ニシノカゼ、ハレ」との暗号を使うと記されている。真珠湾攻撃前後の放送で、なぜ米国を示す「ヒガシ」でなく、英国を示す「ニシ」だったのか、理由は不明だ。今回の公開文書でも、こうした詳細な経緯については記載されていない。