オダサクを顧みる

織田作之助生誕100年 権威に挑んだ姿、故郷で脚光 (www.asahi.com 2013年1月6日13時32分)
 
 「オダサク」といえば「夫婦善哉」。みんな知っているようで、意外と知らない。市井に生きる庶民の機微を、語るような文体で描いた大阪出身の作家、織田作之助だ。逆風の中を生き急ぎ、33歳で世を去った。今年生誕100年を迎え、不屈だった彼の生き方に光をあてる動きが故郷でひろがる。
 
 大阪市内の下町で育ち、小商いを営む父母を早く失った。進んだ旧制三高(京都大の前身)は中途退学。1940年発表の小説「夫婦善哉」で世に認められたが、奔放な若者らを描いた作品が当局ににらまれ、戦中には発禁処分も受けた。最愛の妻にも先立たれた。
 
 うまいもん好きで、作中にも正弁丹吾亭(しょうべんたんごてい)の関東煮自由軒ライスカレーが登場する。終戦直後から太宰治坂口安吾らと無頼派として人気を得るが、47年1月、長年苦しめられた結核により他界した。
 
 「オダサクは軍靴の音が強まる中、モラルや文壇などの権威に挑み続けた」と、在野の研究家らが集う「オダサク倶楽部(くらぶ)」代表の井村身恒さんは言う。東日本大震災で社会構造が揺らぎ、既成政党への不満が強まる昨今は、彼が活躍した昭和の激動期に通じるものがある。「今のような息苦しい時代にこそ、彼が描いた、したたかで、いきいきと生きる群像が一層味わい深く感じられる」
 
 大阪ミナミの大阪松竹座と東京の新橋演舞場で5〜6月、音楽劇「ザ・オダサク」が演じられる。織田役はジャニーズ事務所所属で大阪府出身の内博貴さん、ヒロインは元宝塚歌劇団トップ娘役の陽月華(ひづきはな)さんが演じ、少年隊の錦織一清さんが演出する。旧制三高を中退し、小説修業や恋に明け暮れる様を描く青春グラフィティーだ。松竹の上田浩人チーフプロデューサーは「オダサクの『きょう』を懸命に生きる姿をみて、元気を取り戻してもらえれば」と語る。
 
 大阪・九条の映画館シネ・ヌーヴォは7月半ばから6週間、映画祭「織田作之助と仲間たち」を催す。森繁久弥主演の「夫婦善哉」など織田作品のほか、同時代の小説を原作にした映画など約40本を上映する。「古き良き大阪や昭和の町衆を描いた作品から、今こそ必見のフィルムを選ぶ」と同館の景山理代表は意気込む。
 
 大阪歴史博物館では9月下旬から3週間、「織田作之助大大阪(だいおおさか)」展(仮称)が開かれる。井村さんらオダサク倶楽部が企画を練り、生原稿や初版本の展示だけでなく、オダサクが愛した文楽など上方文化の系譜にもふれる計画だ。
 
 芥川賞作家の辻原登さんは、オダサクを天才と呼んではばからない。「大阪では井原西鶴が活躍した江戸時代から散文の文化が息づいてきた。そこで培われた人間観察眼と天性の筆のやわらかさを備えた織田の文章は、小説だけでなく、評論も切れ味鋭い。生誕100年をきっかけに、もっと顧みられていい」