生きるということ

見えない、聞こえない、生きるって何? 荒さんの世界 (www.asahi.com 2012年12月24日19時33分)
 
 荒美有紀さん(24)は、フルートが得意で東方神起が好きな、東京の大学生だった。体中の神経に腫瘍(しゅよう)ができる難病、神経線維腫症2型を発症、一昨年秋に聴力を、昨年春には視力を失った。一切の光と音を奪われた孤独。彼女に出あって考えた。人の強さとは、きずなとは、なんだろう。
 
 24日、荒さんは、同じ盲ろう者が集まるクリスマスパーティーの会場にいた。退院して半年、荒さんはすでに人生を前へと歩き始めていた。
 
 目が見えず耳も聞こえない盲ろう者に情報を伝える手段の一つ、指点字を、驚くほどの速さで習得した。点字変換ができる情報端末も、すぐ使いこなした。
 
 今春、明治学院大仏文科の4年に復学。大学近くに越してきた家族と暮らし始め、抗がん剤治療を受けながら講義に通う。卒論は来年、挑戦する。
 
 盲ろう者の多くは社会に出るすべを知らず、家に引きこもっている。そうした人たちを、勇気づける存在になりたい。そんな目標も口にした。
 
 でも彼女がつづるブログに時々出てくる、こんな記述が気になった。
 
 「そもそも生きるって、自分って、なんだろう? 誰かのお供がなければ外を歩けなくなった私って。首にリードを巻いた犬の気分になる。私ってポンコツじゃないか、と」
 
 秋、取材を申し込んだ時も、荒さんはためらった。
 
 重い障害があるのに頑張っている、盲ろう者なのにすごい、と言われる。その「なのに」がムズムズ居心地悪い、と言う。

 「障害を持ったことで、底上げされてる気分。私は誰かを感動させるために、生きているんじゃない」
 
    ■
 
 大学は指点字通訳者やパソコンでのノート筆記者を用意し、授業を保障した。通学・帰宅時の付き添いは大学のサークル「点訳会」が引き受ける。点字を学ぶ10人ほどが最初は気遣いしつつ、やがて友達として、彼女とつながった。
 
 何人かでおしゃべりをする。一人が荒さんの手のひらや背中に指で字を書き、状況を伝える。置いてきぼりにしないよう、会話に間をつくる。「場のルールがいつの間にかできた」と嶋村大樹(ひろき)さん(21)は言う。
 
 荒さんにとって、顔も声も知らぬ新しい人間関係。手に書かれる文字に、性格や気持ちは表れる。かかわりを重ねるうち、その人の輪郭が次第に浮かんでくるのだという。
 
 「なぜ私の周りには、こんなにも温かくて優しい人があふれているんだろう。目と耳が使えていた頃より幸せなのかも……」
 
 11月初め、大学の学園祭があった。
 
 車いすでやって来た荒さんのもと、入れ替わり友人たちが寄ってきて、手に言葉を伝えてゆく。
 
 ソーセージのにおい、車いすにぶつかる人。にぎわいに囲まれ、その一部を感じとり、彼女は楽しんでいる、とばかり思っていた。
 
 ところが、本当は不安と緊張とで泣きたいほどだったと、後で知った。
 
 健常であることが当たり前の大多数の人。何もできない障害者にどう接すればよいかわからず、戸惑う空気を感じる、という。
 
 この場に自分はいていいんだろうか――。
 
 「それでも、私は社会に出て行くことで、自分の人生を切り開こうと決めたのだから」
 
    ■
 
 荒さんは、記事が載る前にやっておきたいことがある、と言い出した。
 
 出身地の栃木県で過ごした中学・高校時代、仲良しの4人組がいた。よくけんかし、旅行した。その仲間に、自分の今の状態をまだ知らせていなかった。
 
 闘病のことは伝わっている。だが「会いたい」とメールが来ても「お互い忙しいよね」とはぐらかしてきた。見えて、聞こえるふりを、してきた。
 
 「こんな私を変わらず受け入れてくれるだろうか。あの頃を思い出すと、胸がしめつけられる。今の自分を否定してしまいそうで。でも見えて、聞こえていた22年間の荒美有紀も、私の大切な一部だから」
 
 何日も考え抜いた文面のメールを、送信した。
 
     ◇
 
 〈盲ろう者〉 弱視や難聴を含め、視覚と聴覚の両方に障害がある人。ヘレン・ケラー福島智・東大教授が知られる。推計では全国に約2万3千人。日本での全盲ろう者の大学進学・在籍は、荒さんで4例目。
 3年前、東京都が初の盲ろう者支援センターを開設し、生活訓練などを実施している。通訳・介助者の公的派遣制度の拡充も求められている。