さわやかな「泥沼流」

米長邦雄さん、盤上に宿らせた人間力 さわやかに泥臭く (www.asahi.com 2012年12月19日03時00分)
 
 「さわやか流」の生き様と、「泥沼流」の勝負術で多くのファンを魅了した将棋の元名人、米長邦雄さんが18日死去した。盤上に人生哲学を鮮やかに投影させた名棋士だった。
 
 雄大な構想力。多少形勢を損ねても、対戦相手の心理的弱みをつき、泥沼に引きずり込んでねじ伏せた。華があって、泥臭い。王道の「自然流」と称された最大のライバル、中原誠十六世名人と、将棋史に残る激闘を繰り広げた。
 
 ず抜けた中・終盤力は10代後半の「延べ1万時間」の修行が基礎になっている。だが、20代以降は運を呼び込む人間力を磨くことに注力した。「実力を生かすか殺すかは大局的な人生観にかかっている」という信念があったからだ。
 
 若手時代、引退がかかる相手に手を抜かず勝った。「相手にとって重要な一局こそ全力を尽くす」という姿勢は「米長哲学」と呼ばれる。「どうすれば勝利の女神に好かれるか」と悩んだすえの選択だった。
 
 「将棋も人生も常に悪手の山の中を歩いている」「将棋は闇市泥仕合」とも語っていた。最善手をあえて指さず、わざと甘い手を出して相手のリズムを狂わせることもあった。
 
 思うようにいかない将棋と人生を重ね合わせ、勝負哲学の確立を追求。盤上で示すとともに、著作や講演で分かりやすく説いた。政財界に広い人脈を築き、東京都教育委員も務めた。
 
 盤上で人生経験が物を言うという考えは、羽生善治三冠らの世代の台頭で終わりに向かう。将棋は技術がすべてという考えが主流になり、事前の研究が重視され、序盤から最善手を積み重ねるのが当然になった。
 
 そんな大きな転換にも、しなやかに対応した。10〜20代の若手を自宅に招き、「先生」と呼んで教えを請うた。最先端の技術を積極的に盗み、1993年には7度目の挑戦、49歳で初の名人を獲得した。
 
 だが翌年には羽生挑戦者に名人位を奪われた。時代の変わり目の象徴だった。
 
 いま、将棋の技術はさらに精緻になった。高速道路をびゅんびゅん飛ばすような現代将棋はスリリングだが、研究勝負で終わることもある。私は小学生のころから、泥だらけの盤上で華々しく舞う、人間くさい米長将棋が好きだった。昭和の香りを濃厚に残しつつ、いまも色あせない光彩を放っている。(丸山玄則記者)
 
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 米長さんの通夜は23日午後6時30分、葬儀は24日午前10時30分から東京都目黒区碑文谷1の22の22の円融寺示真殿で。喪主は妻明子さん。葬儀委員長は日本将棋連盟専務理事の谷川浩司九段。