山折哲雄 『髑髏となってもかまわない』

 いつなんどき、髑髏になってもかまわない。
 
 50歳を越えて、歳を重ねるにつれ、死ぬのが怖くなってきたという人が増えている。自分の「死生観」をもっていないから、「おのれの死」が「いきなり深い穴に落とされるような恐怖」なのだ。
 しかし、誰もが死ぬ。確実に死ぬ。この事実に例外はない。では、どうすればいいのか。
 
 ざらしを心に風のしむ身かな
 
 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
 
 古来、日本人の「死生観」とはどうあったのか。越後・国上山にある良寛の五合庵から芭蕉親鸞西行、あるいは谷崎潤一郎から斎藤茂吉、鴎外、漱石正岡子規、さらには宮沢賢治松本清張江藤淳…と文人の足跡を縦横に辿りながら、「死とどう向き合うべきか」を考察する。