吉見俊哉 『大学とは何か』

 「今日、大学はかつてない困難な時代にある」と著者は指摘する。しかし、恐らくその「困難」の本当の“困難さ”とは、大学が直面する危機の「本質」が、マスメディアをはじめ、今の時代にほとんど「理解され得ない」という点にこそあるのではないか。グローバリゼーションや自由主義経済という厄介な毒に深く腐食された私たちが、ジャック・デリダの言う「条件なき大学」を再び手に入れることのできる可能性は、果たしてどのくらいあるのだろうか?
 
 
 中世都市を舞台に誕生し、急速にヨーロッパ全土に増殖していった大学は、今日の大学のルーツではあり得ても、その直接の出発点ではない。それどころか、中世に誕生した大学は、中世が終わる頃までに徐々に重要性を失い、それから一八世紀末まで、学知の発展にとって周縁的な存在にとどまるのである。第一の爆発の後で、第一の死がやって来た。
 見過ごせないのは、大学が衰退していく時代と、近代知のパラダイムが浮上し、認識の地平を大きく広げていく時代がほぼ対応していたことである。つまり大学は、近代知の主体ではなかった。それどころか、近代の自然科学や人文主義が姿を現し、人々の認識世界を劇的に変えていくまさにそのときに、大学は学問的想像力を失い、古くさい機関になり下がっていたのである。だいたいデカルトパスカル、ロック、スピノザライプニッツといった近代知の巨人たちのなかで、どれだけ大学教授を生業としていた者がいたであろうか。近代の認識地平が立ち上がってくる決定的な時代、大学は何ら中心的な役割を果たしてはいないのである (p.64)
 
 
 ところが一九世紀、学問機関としての大学は、ナショナリズムの高揚を背景に、劇的な「第二の誕生」を迎える。(…)この大学の奇跡の復活は、一九世紀初頭のドイツで、研究と教育の一致という「フンボルト理念」に沿うようになされていった。そしてこのドイツ発の新しい大学概念が、二〇世紀を通じて米国を中心に世界に広がり、一八世紀には大学を時代遅れに見せていた専門学校やアカデミーなどの制度を呑み込んで史上最大の研究教育体制にまで成長していくのである。 (p.78-79)
 
 
 未来の大学は、カントと同じ問いから出発し、一九世紀とは別の答えに達する。ジャック・デリダは前述の大学論(『条件なき大学』)において、「条件なき大学」の重要性を再定義した。私たちはポスト国民国家体制の未来において、「あらゆる類の経済的合目的性や利害関心に奉仕するすべての研究機関から大学を厳密な意味で区別しておく」ために、大学のなかに「無条件的で前提を欠いたその議論の場を、何かを検討し再考するための正当な空間」を見出さなくてはならないのであり、それは「この種の議論を大学や<人文学>のなかに閉じ込めるためではなく、逆に、コミュニケーションや情報、アーカイヴ化、知の生産をめぐる新しい技術によって変容する新たな公共空間へと接近するための最良の方法を見出すため」にそうなのである。 (p.254-5)