槻の木の広場

出会いの広場、石敷き溝 明日香村・飛鳥寺西方遺跡 (www.asahi.com 2011年11月25日5時0分)
 
 奈良県明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代(7世紀後半ごろ)の石組み溝が見つかった、と村教委が24日発表した。飛鳥寺の西側には、大化改新の立役者、中大兄皇子(=後の天智天皇)と藤原鎌足が初めて出会った「槻の木の広場」があったとされる。溝は広場の南限だった可能性があり、過去の調査と合わせると広場の規模が把握できたとしている。
 
 溝の遺構は飛鳥寺の南西約130メートルにあり、幅約90センチ、長さ約14メートルにわたって出土。中に約15センチ大の石が敷かれ、東西方向に延びていた。溝の北側は整地されて5〜10センチの小石が敷かれていたが、南側にはなく、溝が広場の南限を示す区切りだったとみられる。
 
 同遺跡ではすでに、今回の溝のすぐ東側で南北方向の石組み溝が確認されている。西側に川が流れていたことなどを考慮すると、広場が東西約120メートル、南北約200メートルの範囲に及んでいた可能性が高いという。