世界文学とは翻訳文学のことである

〈対談〉ノーベル賞を機に 翻訳文学を考える (www.asahi.com 2011年10月14日10時14分)
 
 ノーベル文学賞が6日、発表された。例えば日本の文学が賞の選考過程に乗るには、翻訳されることが必須の条件になる。発表を機に、文学と翻訳の関係について、文芸評論家の加藤典洋さんと翻訳家の鴻巣友季子さんに語り合ってもらった。
 
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■訳されて豊かになるのが世界文学
 
 ――今年のノーベル文学賞は、スウェーデンの80歳の詩人、トーマス・トランストロンメルに決まりました。日本では、1999年に詩集『悲しみのゴンドラ』が訳されています。
 
 鴻巣友季子 毎年のように候補にあがってきた人ですね。
 
 加藤典洋 去年、マイケル・ハイムというミラン・クンデラの訳者でUCLAの教授の話を聞く機会があったんです。スウェーデン・アカデミーの人と会った際、「ノーベル賞をとるには何が一番大事ですか」と尋ねたら、たちどころに「いいスウェーデン語の翻訳があること」と言った。
 ドストエフスキーが何度も訳され直す。そのうち訳者、読者の意識が変わってくる。その果てに、「このドストエフスキーカフカに影響を受けているよね」ということが起きてくるとも言った。訳者がカフカの影響を受けているので、こういう逆転現象がおきるわけで、翻訳とは実に面白い「生の営み」なんですね。
 世界文学って言うと大げさな感じがするけど、もっと小さな場面でいろんな言語の間で文学は、「生きている」。そういう場所から見たら、ノーベル文学賞なんて、ある意味ちっぽけで、でも使い勝手がよく、人が喜べたりもするもの。それぐらいに考えておいていいんじゃないかしら。
 
 鴻巣 一つ言えるのは、ノーベル文学賞にからむ文学は、要は翻訳文学だということ。英語やスウェーデン語で書かれたか翻訳されたもの以外は、対象にもならない。デイヴィッド・ダムロッシュは『世界文学とは何か?』の中で、世界文学とは翻訳文学のことである、良い翻訳文学とは翻訳で失われるのではなくて豊かになるものという。それが世界文学だ。翻訳して通じなくなるものは、国民文学、ご当地文学だと(笑い)。
 
 加藤 川端康成が訳者のサイデンステッカーに、ノーベル賞の賞金を半分受け取ってくれといったけど、そういうものですね。
(以下略)
 
 鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ) 1963年生まれ。翻訳家、エッセイスト。著書に『本の寄り道』(河出書房新社)など。
 加藤典洋(かとう・のりひろ) 1948年生まれ。文芸評論家、早大教授。著書に『村上春樹の短編を英語で読む』(講談社)など。