仮に生き延びていたら

松浦寿輝が連作短編集『不可能』発表 (www.asahi.com 2011年8月5日)
 
■老いた三島の酔狂を描く
 
 作家・詩人の松浦寿輝が老後の幸福とは何かを追求した連作短編集『不可能』(講談社)を発表した。主人公の名は「平岡」で、自決した作家・三島由紀夫(1925〜70、本名・平岡公威)を暗示する。もし三島が生き延びて老境を迎えていたら――という設定の実験的な小説だ。
 
 喉もとに傷痕を残す平岡は、ある事件のために無期懲役の判決が下り、27年間入監したのち仮出獄となった。すでに80歳を超えている。
 
 松浦は「もともとは、老人小説を書こうと思った。裕福で好き勝手できる老人がいたら、老いとどこまで和解できるか、どういう形で幸福になれるかを考えてみたかった」と語る。
 「そこで三島を借りてきた。僕は三島の熱烈な愛読者ではないが、謎を秘めて劇的に死んだその人生に興味があった。本音なのか演技なのか区別がつかない言動を発信し続け、二・二六事件のパロディーのようなドラマで自らの死までも演出した。老いを憎んで40代で亡くなった奇態な作家が、仮に生き延びていたら、という思考実験です」
 
 平岡は金に飽かせて地下室のある家を建てて、地下にバーをしつらえ、石膏の人体模型数体を配して1人でグラスを傾ける。一方、月の光をふんだんに浴びられる、入り口のない塔を西伊豆に建てて海を眺める。
 「人間嫌いが年をとって1人になったら何が楽しみか? 人でありながら人でない存在である人体模型に囲まれ、人々のざわめきがスピーカーから流れるまがいものの社交空間をつくった。地下は土の中特有の安定感がある。地下の次には高所に上らせて、塔で月の光を浴びて恍惚とする。酔狂だが、三島の楯の会も一種の酔狂なのでは」
 
 物語は後半、「悔悛老人クラブ」なる怪しげな会に平岡が加わることで弾みがつく。クラブは、東京大空襲のような火事や鹿鳴館もどきの空間での裁判劇を起こし、平岡を翻弄する。ところが彼は終盤、首のない殺害死体になるという大芝居を打ってのける。
 
 「老いはもともと静かな空間だが、それだけではおもしろくない。それまで平岡は単独者だったが、彼の分身みたいな者をぞろぞろ出して派手な展開にした。幸福な諦念から離れ、大がかりな手品を見せる。いわば三島のキャラクターが反乱を起こした。市谷の事件の再演みたいなことをやってみせるが、それも見せかけの嘘。最後は日本を捨てて海外へ行くんです」
 
 東大で仏文学と表象文化論を研究するかたわら、詩と小説を創作し、エッフェル塔から折口信夫までも論じる活躍ぶりだが、「50代半ばを過ぎて、老いを感じることがある」という。
 「小説には、私自身の夢想も入っていて、実際にはできないことをやらせてみた。システムやしがらみから逃れて国外脱出する平岡に夢を託したんです」
 

不可能

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