NHK「東海村臨界事故」取材班 『朽ちていった命』

 トレックスガーゼをはり、その上から顔を見せると、妻、妹、父、母とも泣いている。泣きながらも「ずっとガーゼでおおわれていたし、どんな顔になっているか気になっていた。話を聞いただけではどんな顔になっているのか気になっていた。もっと黒くなっているかと思っていた。顔見せてもらってよかった」「あまり泣く人もいなかったから、近くで泣いていると心配するからね」と涙をふいている。 (「1999年12月21日──被爆83日目」p.166)
 
 福島第一原発では現在、建屋の外にあるたて杭や坑道(トレンチ)に溜まった高濃度の放射能汚染水を回収する作業が続けられている。汚染水はその後3万トンの容量を持つ集中廃棄物処理施設に移されることになるが、そのために東京電力は溜まっていた汚染度の低い水を海に放出し、内外から非難を浴びた。
 
 そのきっかけとなったのが、3月24日に3号機のタービン建屋で起こった作業員の被曝事故だ。報道によると、3人の作業員は、3号機のタービン建屋内でケーブルを敷設している最中に、足元に溜まっていた水につかり被曝した。汚染された水溜まりからは、通常の原子炉内の冷却水よりも、約1万倍強い放射能が検出されたという。うち2人は救急車で福島県医大病院に搬送され、その後千葉市にある放射線医学総合研究所(放医研)に転院したが、3人ともに線量は健康に影響が出ない程度といい、全身状態に問題がないということで28日に退院した。
 
 この事件で、1999年9月30日に発生した東海村JCO臨界事故を想起した人は少なくなかったのではないか。この事件では、JCOの核燃料加工施設内でウラン化合物の粉末の溶解に当たっていた作業員が、突然発生したウランの臨界事故で多量の中性子線を浴び、1人が約3か月後、もう1人が7か月後にそれぞれ多臓器不全で亡くなっている。その後、「裏マニュアル」に象徴される危険な作業や、会社ぐるみでの悪質な隠蔽工作などが次々に明らかとなり、所長ら6人は刑事責任を問われる事件にまで発展した(判決は執行猶予付き有罪)。本書は、このうち12月21日に、83日間にわたる闘病の末亡くなった大内久さんの治療記録を追いかけたドキュメンタリーである。
 
 東大病院に運ばれてきた当初、「1カ月くらいで退院できると思っていた」大内さんが、16〜20シーベルトと推定される中性子線の被曝により染色体がばらばらに破壊され、免疫力をまるで失ったまま、入院11日後あたりから次第に、しかし急速に「朽ちていく」過程を最期まで生きていかねばならなかったこと。懸命の治療に当たりながら、現代医学の限界に、最終的にはなすすべなく立ち尽くすしかなかった医療スタッフの無念。「発ガン性」云々ではなく、生命の「設計図」、命の尊厳そのものを根底から打ち砕く放射線被曝の真の恐ろしさを暴き出した一冊だ。