蘇る「破滅型作家」

芥川賞・西村さん心酔 破滅型作家・藤澤清造に脚光 (www.asahi.com 2011年1月23日7時19分)
 
 大正期の「破滅型作家」として知られる石川県七尾市出身の藤澤清造が、第144回芥川賞を受賞した西村賢太さん(43)の尊敬する作家として脚光を浴びている。西村さんは一時期七尾市に住んで清造の直筆原稿や資料を集め、全集を個人編集するほどの心酔ぶり。清造の命日の今月29日に同市である「清造忌」では、親交のある人たちが西村さんを囲んで受賞祝いと清造の追悼をする。
 
 清造は1889(明治22)年10月、鹿島郡藤橋村(現七尾市)の農家に生まれた。18歳で役者を目指して上京、徳田秋声室生犀星らと交際する。34歳のとき、代表作「根津権現裏」を刊行し、田山花袋に激賞されたという。しかし晩年は性病のために異常な行動が目立つようになり、42歳の冬に東京・芝公園で凍死しているのが発見された。
 
 西村さんは刊行を準備している全集のパンフレットの中で、清造について「生き恥にまみれながらも、地べたを這いずって前進し、(中略)結果的には負け犬になってしまった人生は、私にこれ以上とない、ただ一人の味方を得たとの強い希望を持たせてくれた」と記している。
 30代の時には七尾市にアパートを借り、資料収集を始めた。2001年からは清造の墓がある同市小島町の西光寺を毎年訪れて「清造忌」を営み、02年には清造の墓の隣に自分の墓まで建てている。
 
 芥川賞が決まる数日前にも突然西光寺を訪れ、清造の墓にビールと受賞作「苦役列車」が掲載された文芸誌を供えていった。住職の高僧英淳さん(58)に「(同時に受賞した)朝吹真理子さんで決まりですが、ぼくにもほんのわずかな希望はあります」と話していたという。
 
 七尾滞在中の西村さんに清造についての講演を依頼した市立中央図書館の久川裕恵館長は「西村さんの受賞で、清造が注目されるのはうれしい」と話す。同図書館は18日から2人の作品を並べた展示コーナーを設置。県外からも「清造の本が読みたいのですが」という問い合わせが相次いでいるという。