スティーヴン・ホーキング 『ホーキング、宇宙と人間を語る』

 なぜ、この宇宙は存在しているのでしょうか? どうして無ではないのでしょうか?
 なぜ、私たちは存在しているのでしょうか?
 なぜ、自然世界の法則は今あるようになっているのでしょうか? どうして、ほかの法則ではないのでしょうか?
 
 本書は、このような3000年以上にもわたって人類が探求してきた「究極の問い」に対して、最先端の素粒子物理学はどこまで解決に迫りつつあるのかを紹介した一冊である。
 
 昨年9月に9年ぶりの最新理論として上梓されるや、「宇宙誕生に神は必要ない」との主張が宗教界を中心に物議を醸し大きなニュースとなったという。日本では、およそ20年以上前に、NTTデータ通信(当時)のCFに車椅子の姿で登場。「虚数の時間でいえば 宇宙には始まりもなければ 終わりもない」という鮮烈なテロップとともに、天才物理学者ホーキング・ブームを巻き起こしたことを思い出す。
 
 その「時間の始まり」について、本書では次のように説明されている。
 
 「時間は線路の模型のようなものです。もしそれに始まりがあったならば、汽車を走らせるような何者か──すなわち、神──が存在していなければなりません。(略)しかし、量子論の効果を一般相対性理論に加えると、ある極端な場合において大規模なゆがみが生じ、時間がもう1つの空間次元としてふるまうようになるのです。
 宇宙が一般相対性理論量子論の両方に支配されるほど小さいような初期の時代では、実際上の空間次元は4つあり、時間次元は存在しませんでした。このことは、私たちが宇宙の始まりについて語ろうとする際、微妙な論点に行き着くということを意味しています。つまり、非常に初期の宇宙まで遡ると、私たちの知る時間はもはや存在しないのです!」 (p.190-1)
 
 この概念は、確かに私たちの「経験を超えて」いる。
 
 初期の宇宙においては、時間を含めた4つすべての次元が「空間次元としてふるまって」いるという。宇宙の始まりを地球の南極に、緯度を時間に見立ててみると、「宇宙は南極において天から始まるわけですが、その南極は他のいかなる点とも同じようなただの点」に過ぎない。南極よりも南には何もないので、宇宙の始まりの前に何が起こったのかという質問はもはや意味をなさなくなる。この、歴史が境界を持たない閉じた表面をなすという考えを「無境界条件」と呼ぶ。
 
 「この考えは、宇宙が始まりを持つことに対する古い反論を取り除くだけでなく、宇宙の始まりが科学の法則によって支配されており、何らかの神によって動かしてもらう必要もないということを意味します」(p.192)
 
 また、「宇宙の起源が量子的な現象であるならば、それはファインマンの歴史総和法によって正確に記述できる」(p.192)のだという。宇宙が「おのずから出現し、あらゆる可能な過程に沿って進化する」という考え方(おのおのの過程は、それぞれ別の宇宙に対応している)、いわゆる「マルチバースの概念」は現代宇宙論の最もスリリングなアイディアのように見える。
 
 「宇宙論において、私たちは宇宙の歴史をボトムアップ的に追うべきではないということです。なぜなら、このボトムアップ的アプローチでは宇宙の歴史は1つであり、始まりの点と進化の仕方が明確に決まっていると仮定されているからです。/それよりも、歴史をトップダウン的に、現在から過去へと遡らなくてはなりません。(…)歴史が私たちを創るのではなく、私たちの観測によって私たちが歴史を創っているのです」(p.198-9)
 
 そして、マルチバースの概念は「私たちのために宇宙を生み出した善意ある創造主の存在を必要とせずに、物理法則に微調整があることを説明できる」(p.234)ものらしい。
 
 「ニュートンのあと、特にアインシュタインのあと、物理学の目的は、ケプラーが心に描いたような単純な数学的原理を発見し、それを用いて、私たちが自然界で観測しているすべての物質や力の詳細を説明できる、統一された『万物の理論』を生み出すことにありました。19世紀から20世紀初頭にかけて、マックスウェルとアインシュタインは、電気と磁場と光の理論を統一させました。1970年代、原子核における強い相互作用弱い相互作用および電磁力のそれぞれの理論からなる素粒子標準模型が作られました。ひも理論やM理論は、残された力である重力を取り込む試みとして提唱されました。
 そして、物理学の目的には、これらの力を説明する個々の理論を探究するだけでなく、それぞれの力の強さや素粒子の質量、電荷といった基本的な定数を説明できる理論を追い求めることも加わりました。アインシュタインの望みは、『合理的かつ完璧に決められた定数だけの存在を許す、厳しく決定された法則が必然的に存在できるように自然界はできている』ということを言ってのけることでしたが、究極の理論は私たちの存在を許すような微調整を必要としないものでしょう。
 しかし、近年の物理学の発展を踏まえて、アインシュタインの夢が私たちの宇宙と他の宇宙を同時に説明できる究極の理論の発見であると解釈するならば、M理論は究極の理論であるかもしれません。果たして、M理論は本当に究極の理論と言えるのでしょうか?」 (p.234-5)
 
 第8章「グランドデザイン――宇宙の偉大な設計図」は、本書のクライマックスともいえる部分である。「万能チューリングマシン」は、宇宙や生命を解いた本でよくお目にかかる比喩といえるだろう。ただ、今回本書を通読して思ったのは、ホーキング博士といえどもM理論の「抽象的思考」を素人向けに十全に説明し尽くすことは困難だったのか、ということ。ともあれ知的刺激に溢れた一冊である。