鼠と代数

井伏鱒二、26歳の恋 激情伝える親友あて書簡発見 (www.asahi.com 2010年10月27日5時3分)
 
 「お露に逢ひ度し、逢ひたき心、切なるものに候」。作家の井伏鱒二(1898〜1993)が26歳のとき、高等女学校の生徒に恋する思いを率直に告白した親友あての書簡が見つかった。彼女が苦手なネズミと代数をこの世から永遠になくすべし、とつづるなど、若き日の文豪の純真な姿が鮮やかによみがえる。
 
 井伏は1922年に早稲田大を退学。24年4月ごろから1カ月ほど、柳井高等女学校の教師だった親友の田熊文助を頼って山口県柳井市に滞在し、紹介された3年生(現在の中3)のお露を恋した。
 田熊あての書簡14通のうち24〜25年のものは12通。田熊の孫が保管し、昨春、東京の日本近代文学館に寄贈した。東郷克美・早稲田大名誉教授(日本近代文学)が調査し、「日本近代文学館年誌 資料探索6」に今月発表した。
 
 井伏は二十歳のとき、私立女子美術学校の生徒に恋して告白できず、友人から「罐詰の恋」と呼ばれた。一方、お露への恋は激しかった。
 24年5月の書簡には、「彼女のことを夢に見て、醒めて夜着の中にて涕泣つかまつり候」とある。さらに「(彼女が)可憐なる眉あげて、鼠と代数がこの世に存在せずばこの世は如何に面白からうとぞ申せし言葉、想ひ出して涙と微笑を誘ひ申候。されば小生は今や最早鼠と代数とを永遠に排斥つかまつるべし」。

 井伏はお露に思いを伝えたが、恋はかなわなかった。井伏は前年の関東大震災で倒壊した東京・浅草の凌雲閣に自らをなぞらえ、「浅草の十二階が崩れる有様を君は想像したことがあるであらうが……僕をば消えて行く霧の末水泡と思へよかし」(11月)と書いた。

 この恋には後日談がある。井伏は小説「鶏肋集」で、求婚して断られた柳井の女性が30年に訪ねてきたと書いた。これがお露らしく、井伏がやけになっているのではと慰めに来た。結婚3年目の井伏は妻に邪推されたためか、不眠症にかかり大酒をのんだ。

 東郷さんは「あの悠揚迫らざる井伏さんに、こんな激しい恋があったのかと驚いた。当時は岩屋に閉じこめられた山椒魚(さんしょううお)の心境だったかもしれません。24年前後の年譜は空白部分が多く、書簡はそれを埋める貴重な資料です」と話している。