北京の長い夜

天安門事件鎮圧「命かける」 「李鵬氏の日記」出版へ (www.asahi.com 2010年6月9日15時3分)
 
 1989年の天安門事件当時、中国の首相だった李鵬氏(81)がつけていたとされる日記が、香港で出版される。現地の出版者が入手した資料をまとめたもので、民主化デモ鎮圧に「命をかける」などと強い決意が記されている。日記が本物なら、武力介入を決めた当時の指導部の舞台裏を知る貴重な史料になりそうだ。
 
 出版されるのは、約330ページある「李鵬『六四』日記」(中国語版のみ)。出版者は鮑樸氏。鮑氏は、中国共産党の元総書記・趙紫陽氏の政治秘書だった鮑●(●は丹へんに彡)氏の長男で、昨年、趙氏の肉声テープをもとにした回顧録を出版している。
 香港紙サウスチャイナ・モーニングポストによると、鮑氏は今年1月に関係者から日記の原稿を入手。複数の専門家の協力を得て、当事者の証言や公開資料などと日記を照合した結果、「偽物であるとは考えにくい」と判断し、出版に踏み切った。
 
 李鵬氏は当時、民主化運動に対し強硬姿勢で臨んだ保守派幹部の一人で、学生たちに理解を示して失脚した趙氏らと対立を深めていた。
 趙氏が北朝鮮への公式訪問に出発した4月23日の日記には、日増しに規模が広がる学生デモに対し、「どう対処すべきか、打つ手がなかった。尚昆同志(楊尚昆・元国家主席)から、小平同志(最高指導者のトウ小平氏〈トウは登におおざと〉)の指示を率先して仰ぐべきだと助言された」。趙氏が不在の中で、指導部が強硬姿勢を強めていくことになる24日の会議前日、トウ氏と密会して根回しを進めていたことが示唆されている。
 
 5月2日の日記では、「騒乱の初めから、最悪の事態を想定していた」と指摘。「文化大革命のような悲劇から中国を守るためなら、自分と家族の命を犠牲にして構わない」との心境がつづられている。日記は04年にも出版計画が持ち上がったが、中国当局に拒否されたという。