井上勝生 『幕末・維新 ――シリーズ日本近現代史1』

 

 歴史学とは、つねに異論の狭間に成り立つ学問なのではないだろうか。日本近現代史という、今日から遡ってわずか150年余の史実の「真実」も精確に掴むことはできない。その意味で歴史学とはまさしく「不可能の学問」だと言えるだろう。
 
 岩波新書シリーズ日本近現代史1 『幕末・維新』が扱っているのは、1853年6月3日のペリー浦賀沖来航から尊攘・倒幕、明治維新を経て1877年の西南戦争までの25年間の「物語」である。
 日米修好通商条約をめぐっての幕府と朝廷との軋轢、孝明天皇による「万世一系」という天皇主義思想の創案(「天皇(孝明)こそが、貴族(鷹司や九条)とちがって、神武以来の『万王一系』をつぐ貴種だ、という神話は、この時に生まれたあたらしい神国思想である」p.65)、「戊午の密勅」に関する新解釈、長州藩・激派草莽の流行神「残念さん」の逸話、(孝明天皇薨去後の)幕政改革・外交・西洋化に取り組む徳川慶喜の再評価など、短い紙幅ながら読み応えがある。68年3月発布の「五箇条の誓文」では、当初天皇と諸侯が互いに誓いあうという原案が、「『皇祖皇宗』に向かって天皇が百官、諸侯を率いて新政を誓うという天皇を中心とする神国国家スタイルに変えられたものだった」(p.169)といった指摘も興味深い。
 
 新政府が取り入れた行政システムは、「できあがってみれば簡単明瞭な、理解しやすい」支配の装置だったが、先行するヨーロッパがそこへ到達するには実に数世紀を要したという。これに比すれば、産業革命期における「技術革新」など「実は容易に導入」可能なものであった。
 「集権」と「分権」の選択の問題に深刻に直面しながら(そして、彼らの西欧の知識自体が実際には「大したもの」ではなかったにせよ)、維新政府の――岩倉具視三条実美西郷隆盛大久保利通木戸孝允小松帯刀らによる見事なまでの国際政治分析(伊藤博文「各藩の大名がまちまちの流儀で軍隊の教練をやったりするのを放任するかぎり、日本は、強国にはなり得ない。北ドイツ連邦で、その実例が繰りかえされた」p.176)と、改革の強力な推進(例えば「政体書」は僅か2か月の期間で作られている)に、明治期の日本の命運のおおよそは決定していたのかもしれない。
 
 一方で、苛政のもと激烈を極めた農民一揆、非薩長に対する冷酷な処遇など、維新の傑物らを無批判に英雄視することの無意味さ、蒙昧さにも気づかせてくれるだろう。1866年の幕長戦争から76年の伊勢暴動まで、11年間に及ぶ「一揆の時代」を「文明化した国民への教化」という聞こえのいい物語に変形したのもまた、文明開化のなしたことの一つ(p.239)なのだった。