立松和平さん死去

作家の立松和平さん死去 小説「遠雷」、テレビで活躍 (www.asahi.com 2010年2月9日16時9分)
 
 「遠雷」「道元禅師」などの小説やテレビリポーターとしても知られた作家の立松和平(たてまつ・わへい、本名横松和夫)さんが8日午後5時37分、多臓器不全で死去した。62歳だった。葬儀は近親者のみで行う。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻美千繪(みちえ)さん。1月中旬に体調を崩し、入院していた。
 
 宇都宮市生まれ。早稲田大学在学中から沖縄・東南アジアなどを放浪。在学中に学生運動を経験し、出版社への就職を断って運転手や土木作業員、魚市場の荷運びなどさまざまな職業を経験した。いったん故郷の宇都宮に戻り市職員として働きながら作品を発表し、「村雨」などで芥川賞候補にもなった。都市化が進むなか小さな土地にしがみついてトマトを栽培している青年の姿を描いた「遠雷」は80年に野間文芸新人賞を受け、映画化もされた。
 
 次々に小説を発表する一方、旅好きの行動する作家としても知られ、環境保護問題などにも積極的に取り組んだ。97年には「毒―風聞・田中正造」で毎日出版文化賞を受賞。自伝的小説「卵洗い」は坪田譲治文学賞、「道元禅師」は泉鏡花文学賞親鸞賞を受けた。
 またパリ・ダカールラリーにナビゲーターとして参加。報道番組「ニュースステーション」では「心と感動の旅」のリポーター役も務め郷土・栃木のイントネーションを残した語り口で人気を集めた。
 
 一方、93年には、連合赤軍事件を題材にした「光の雨」で死刑囚の手記を盗用したことが問題になり、連載を中止し、謝罪。98年に構成などを変えて新たに書き直し、映画化もされた。また08年に出版した「二荒(ふたら)」でも盗用があるとされ、一度絶版になった後、「日光」として書き直されている。
 
 著作は約300点にのぼる。1月には全30巻の「立松和平全小説」の刊行が始まったばかりだった。

 立松和平といえばまずは『遠雷』『春雷』『性的黙示録』の大河三部作が思い浮かぶが、近著では『道元禅師』の世評が高い。「内向の世代」から遅れてやって来た驚くべき多作の作家であり、マスコミにも繁く登場するなど人気を集めたが、二度にわたる「盗作騒ぎ」に巻き込まれてしまったことが不幸だった。2007年2月に見たNHKドキュメンタリー「南極観測50年 毛利衛 氷の大陸を行く」での作家の素顔が思い出される。
 

道元禅師〈上〉大宋国の空

道元禅師〈上〉大宋国の空