不在

 微かなせせらぎが深緑色に繁った木蔭から聞こえて来、その水源の在りかを求めて佇んでいると、足元に違和感を覚え、エラの張った小さな蛇が一匹、右足首に絡んでいるのに気がついた。慌てて躰を左右に動かし振り解こうとするが、執拗にしがみつく蛇はなかなか離れようとしない。咄嗟に身を屈め、右手でその蛇の乾いた胴体を掴み、力いっぱい叢の中へと放り投げたが、最後の一瞬、小さな鋭い牙で手首を噛みつかれ、激しい痛みとともに血が滴った。
 
 直ぐに病院に行くべきだったが、引っ越しの整理がまだ終わらないので、半ば古びたマンションに戻る。死んだ父が居間でテレビを見ている。洋館を刳り抜いたような寂れた造りで、食堂のほかに部屋が3つほどあり、タイル張りの浴槽から底深い冷気が吹き込んでくる。いちばん奥まったところに、ガラス戸を隔ててぼくの部屋が設えてあり、人夫が暫く前から膨大な書庫の整理に格闘していた。手首の傷はいつの間にか赤く醜く爛れ、早く病院に行かなければならないのは間違いないが、いったい誰が道案内をしてくれるのか?