柄谷行人 『柄谷行人 政治を語る』

 2001年に上梓された『トランスクリティーク――カントとマルクス』で、「資本、国家、ネーションを三つの基礎的な交換様式から見、さらに、それらを超える可能性を第四の交換様式(アソシエーション)に見いだす」(『世界共和国へ』あとがきより)考えを提示した柄谷行人が、60年安保闘争以降の政治経済の動向を振り返りつつ、21世紀世界の動向を予言する。
 
 ウォーラーステイン(から着想した)「近代世界システムの歴史的段階」論と歴史反復の「120年周期論」など、前著『世界共和国へ』よりもさらにわかりやすい語り口で、アソシエーショニズムへの流れの必然性を解説している。
 「ノルマリアンであるフーコーは、自分が官僚出身であることにまったく気づかない」(p.33)、「第一巻・第二巻しか読まないと、『資本論』が、資本主義経済が「信用の体系」だということを論じていることが分からない」(p.42)、「たぶんネグリは、第三巻を読んでいないのでしょう」(p.127)など、柄谷のナマの発言が面白い。
 
 ただし(柄谷の読者なら織り込み済みだろうが)、書名に「政治を語る」と謳ってはいるものの、チョムスキーのように時事的な発言や政治批判を展開しているわけではないことに注意。
 「(中国やインド、イスラム圏といった、18世紀まではヨーロッパに優越していた帝国が)再登場したからといって驚くべきではない」(p.132)、「つぎの世界戦争があれば、もっとましな国際連邦のようなものができるだろう」(p.140)など、そのさりげない発言一つひとつが凡百の政治評論家を吹き飛ばす切れ味を感じさせるものの、2日間という短いインタビュー、構成・編集の荒さから、いささか物足りなさを感じさせられたのも事実だ。
 
 それにしても、大学・大学院での柄谷の「修業時代」の話や、(遠藤周作を介しての)中上健次との出会いなど、(必ずしもコアなファンではないぼくとしては)はじめて知るエピソードなど楽しかった。本書を踏まえつつ、再び『世界共和国へ』から大著『トランスクリティーク』へと遡及していくのが、(専門家ではない)一読者にとっての正しい作法なのかもしれない。