反証可能性

 休日にしては珍しく午前中から起き出したので、軽い昼食を取った後、駅前の「書原」へ。探していた本が見つからないので、例によって新宿Book 1stまで足を伸ばす。
 ジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』(集英社)、石原千秋『読者はどこにいるのか』(河出ブックス)、坂井克之『脳科学の真実』(同)、ニナ・バーリー『神々の捏造』(東京書籍)を購入。
 
 このうち『神々の…』は、今朝の朝日新聞の書評欄で阿刀田高が紹介していた本で、「イエス・キリストの兄弟であるヤコブの骨箱がついに発見され、2002年に公表された」という「世紀の事件」の顛末を、ドキュメンタリー・タッチで描き出したものであるという。刊行当時、丸善などでも平積みになってはいたが、あの『ダ・ヴィンチ・コード』(マグダラのマリアイエス・キリストの子孫)〜『レンヌ=ル=シャトーの謎』のごときオカルティックなフィクションの類かと思い、これまで敬遠していた一冊だ。
 いずれにせよ、この骨箱自体の「真偽」は別として、評者(阿刀田)の指摘するように、「聖なるもの」をめぐる魑魅魍魎たちの「ビジネス」の底深さがあぶり出されているのだとすれば、一読の価値があるかもしれない。
 
 ところで、立花+佐藤『ぼくらの頭脳の鍛え方』によると、立花隆は平均して月に十数万円、佐藤優は約二十万円を本代に投資しているという。それだけのヴォリュームを読み切るには時間と集中力が必要だが、投資価格としては決して高くない。費用対効果でいえば、書籍は最も「割のいい」商品だといえる。
 
 だからといって、書かれている内容を何でも鵜呑みにしていいという訳ではない。とりわけ新書ラッシュで粗製濫造が進み、校閲のチェックが不十分な本がとみに目立つようになってきた。
 
 たとえば、前出『ぼくらの頭脳…』には、「ポパー反証主義ですね。まず相手の議論を全部聞いてから、具体的実証的に反論するという。これはディベートでの重要な手続きですね」(佐藤、p.41)という一節があるが、これは反証主義のごく一般的な定義の説明としては明らかに不親切である(ポパーのいう反証主義とは、「ある理論や仮説が科学的であるというのは、それが反証可能性に対して開かれている」ということ)。
 
 ほかに、細かいことだけど、「(パウロが)神の声を聞いて、改心した」(p.44)というのは「回心した」の誤記。
 

神々の捏造 イエスの弟をめぐる「世紀の事件」

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