戦後日本 漢字事件簿 第1回 禁じられた「八紘一宇」 (NHK教育 22:25-22:50)

 「いま、新聞・雑誌などで使われる漢字が変わろうとしている。漢字使用の目安とされている常用漢字の見直しが進められているのだ。
 常用漢字のもとになる国の漢字制限政策が行われたのは戦後間もないことだった。難しい漢字を排除することが、民主主義の実現に必要だと考えられたのだ」(冒頭ナレーションより)
 
 「漢字は2,000字から3,000字あれば十分」(福澤諭吉)。日本の近代化のため、明治期の指導者たちは国民の教化のため漢字制限が必要と考えていた。しかし昭和に入り、満州事変を経て国民総動員の時代を迎えると、国民の精神を纏めるための「漢字」が注目されるようになる。
 
高田真治「漢字の効用は今や全く国体観念と離るべからざる」
  漢字は天皇中心の国家体制に国民の意思を統合する役割があると見なされた
 
戦争と「四字熟語」
「漢字は意味が分からなくても、人々に何かを伝える力を持っている。その性格が、人々の自由を圧迫するもの、何か恐ろしい魔力を持つものとして捉えられるようになっていく」(円満字二郎
 
漢字のイメージが人々を威圧する時代
  その象徴が「八紘一宇
 
八紘之基柱(現・平和の塔)