亀山郁夫 『『罪と罰』ノート』

1865年1月、モスクワで起こったゲラシム・チストフ(分離派信徒)による連続老女殺人事件がモデル(ロシアで最初の公開裁判)
同年9月にはペテルブルグで高利貸し殺人事件 犯人は19歳のグルジア人青年公爵ミケラッゼ
 
弱者に対する激しい憐れみと、「悪魔的な傲慢」が交互に入れ替わる  ラスコーリニコフ=「断ち割られた」青年
 
「六時過ぎに」「七時に」
千載一遇のチャンスととらえたこのディテールこそは、悪魔の囁きだった。(p.105)
 
ラスコーリニコフ家は二百年来有名な家系でね」
罪と罰』(1866)とは、分離派誕生(1666)二百年記念の小説だった(p.124)
 
ナポレオン主義
 
ラスコーリニコフとソーニャを同等な「死者」として意味づける(p.185)
 
ラザロの復活