佐々木敦 『ニッポンの思想』

浅田彰1984年に上梓された「スキゾ・カルチャーの到来」(『逃走論』)の末尾において、「電子の密室の中に蹲るナルシス」と「スキゾ・キッズ」、「ソフトな管理」と「スキゾ的逃走」を対置し、後者の勝利に期待を寄せたが、結果的にゼロ年代のニッポンを制覇したのは、「ナルシス=オタク」と「ソフトな管理=アーキテクチャ」だった――。
 
1983年9月、浅田彰という弱冠26歳の青年が著した『構造と力』という書物が15万部を超えるベストセラーになり、一大センセーショナルを巻き起こす。直接的には、朝日新聞の特集記事「ニューアカデミズム」の後押しが指摘されるが、著者の言うように、空前のバブル景気へと向かう高度消費社会化/情報社会化の流れやマスメディアのサブカルチャー化など、時代の空気がニューアカ・ブームを引き起こしたことは間違いない。だが、80年代末期の「宮崎勤事件」、あるいは90年代を騒がせたオウム真理教による一連の事件を経て――いわば1995年を境にして、「知」の風景は一変する。
 
もしも、「何が思想的だと思われるか」という「了解の地平」が変わってしまったとするならば、そして、その結果が「これ」だとするならば、「ゼロ年代の思想空間」に関心を寄せる“ゲーム”からは降りる。……そう考え、事実そのように行動する読者は決して少なくないだろう。『動ポモ』以降のオタク系カルチャー(セカイ系、アニメ、ネット)を志向した言説空間は余りにドメスティック=それゆえ排他的で、平たく言えばどうしようもなく“食えない”デザートだ。「誰がいちばん頭がよいのか競争」など、現代を生きる読者にとって、これほどどうでもいいゲームは無いのだから。
 
ちなみに本書のタイトルは、丸山真男の『日本の思想』をもじったものだそうである。『未知との遭遇』に期待したい。