ジョージ秋山 『銭ゲバ』

 70年代半ばの古本屋は――それも都会の大きな古書店街などではなく、大阪・岡町あたりの商店街を奥深く入った、人気のない、鄙びて古本の饐えた臭いの籠もった小さな古書店は――淫靡で、蠱惑的な、黴びてやりきれない魅力を漂わせた古本の格好の「隠れ家」になっていた。中学生だったぼくは、その「薹の立った」書棚の中から、三島由紀夫の『不道徳教育講座』や檀一雄の『小説 太宰治』、寺山修司唐十郎、あるいはジョルジュ・バタイユやコリン・ウイルソンあたりの表紙の折れた、妖しげなハードカバーを見つけては、店主に悟られないよう隠れるようにして読み耽ったものだった…
 
 場末の古書店は、漫画本や雑誌も掘り出し物の宝庫だった。青林堂の『ガロ』、虫プロの『COM』が双璧だが、『漫画アクション』や『平凡パンチ』『朝日ジャーナル』が勢いを持ち、ぷがじゃ(プレイガイドジャーナル)でいしいひさいちが『バイトくん』の連載を始めた頃だ。ぼくらはつげ義春や永島慎治、蛭子能収などのタイトルを脈絡もなく手にとった。ジャケットの上部、赤字に白抜きで「1973.9.21」の日付が鮮やかな、はっぴいえんどの解散ライブ・レコードが店頭に並んでいた頃だから、おそらくは1974年半ばの風景だろう。そのときすでに、ジョージ秋山の『銭ゲバ』は時代の前景から取り残された忌まわしい鬼子で、その存在は誰もが知りながら、誰からも読むことを忘れられた奇書として、ぼくらの前から姿を消していた。
 
 その禁書・『銭ゲバ』が数年前から文庫本で流通し始めた上、今年に入ってテレビドラマとして映像化されている(原作自体は70年に唐十郎主演で映画化されている。未見)。そのドラマ自体は観ていないが、原作の破滅的なカタストロフ(『鬼火』のような)をテレビというメディアで映像化することは恐らく困難なことだろう。風太郎が最後に自ら認めた幸福の「定義」――その7ページ30コマにわたって描かれた「幸福」というものの、凡庸なまでのささやかさ、慎ましさ。すでに指摘されているように、欲望と感情が激しく振動する右半分の顔と、終局直前に見せる、その生から変わることのない諦観をたたえた左半分の顔――その<非対称>の生が織りなす生々しくも残酷な人間のドラマ……。
 
 ――それにしても、幼い子どもの「涙」と、「懸命に走る姿」というのは、なぜかくも切なく心に迫るのだろうか。