記憶に残る一杯の「時間」のために

 何の本だったか肝腎なことを忘れてしまったけれど、最近読んだ本の中の対談記事の最後に、「神保町・壹眞珈琲店」というクレジットが入っていて、そう言えば昔読んだ蓮實重彦の文芸論か何か厚みのある対談集にも、壹眞珈琲店で収録した旨の注釈がどこかに入っていたことをふと思い出した。
 
 あの狭くて薄暗い店内で。時間外に借り切って対談したのだろうか。それとも店のどこかに特別室のようなスペースでも用意されているのだろうか。
 
 ところで、いま発売中の『散歩の達人』3月号が、特集「東京 大人の『喫茶店」』を組んでいる。
 新生「スカラ座」も見開きで紹介。
 三島由紀夫のエピソードを載せた「画廊喫茶ミロ」(表紙写真も「ミロ」を使っている)などは、店内よりも、あの狭い路地から外観と入り口を紹介した方が迫力あるかもしれない。
 定番の「喫茶店のカレー」グラビアも(実のところ、スタバが「風味の問題」で全席禁煙というなら、カレーのスパイスの香りはOKか?)
 
 それにしても、喫茶店というのは、ただ淹れたての珈琲を飲むだけの、紫煙に薄汚れた狭い空間に過ぎないのに、どうしてこうも人の想像力をかきたてるのだろう?