活字ばかりでゴチック

異彩 活字だけの装丁 「内容に自信」の表れか (www.asahi.com 2012年2月24日10時47分)
 
 人文書で待望のスター誕生、という感を抱かせるのが、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、昨年10月)と、與那覇潤『中国化する日本』(文芸春秋、同11月)だ。ともに30代の大学准教授。哲学と歴史学で分野は異なるが、切実で斬新な内容と、目の前で講義を聞かせるような文体が共通し、多くの読者をつかんだ。前者の5刷2万5千部、後者の5刷2万部は人文書では大ヒットといえる。
 
 続けて読んで謎が残った。装丁だ。『暇と退屈』は写真を下方に置くが、両書とも目に訴えてくるのは赤いゴチック体のタイトル文字。余韻を残す明朝体が好まれる人文書では異例の率直さだ。装丁家は異なる。
 
 人文書というより教養書だが、やはり准教授(意思決定論)が語りかける瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社、同9月)と、同じ筆者の『武器としての決断思考』(星海社新書の創刊1冊目、同時発売)の装丁も、白地に黒の活字を置き、写真やイラストを排して異彩を放つ(装丁はともに吉岡秀典)。前者は9刷8万5千部、後者は7刷20万部。
 
 読まれる人文書・教養書の装丁はなぜ「活字ばかりでゴチック」なのか。思い起こせば一昨年、表紙が黒ゴチック文字で埋め尽くされたマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)は65万部売れ、文庫化しても装丁はほぼ変わっていない(装丁は水戸部功)。
 
 担当編集者に聞いて回った。印象深いのは、みな原稿に自信を持っていたことだ。人文書や新書の固定された読者層だけでなく、広く読ませたい。そんな意気込みがどんな装丁なら伝わるのか心を砕き、ありきたりを避けていた。お互いにまねした気配はない。
 
 『暇と退屈』の装丁は、様々に凝った技法を駆使してきた鈴木成一さん。「これまでもタイトル文字で勝負する装丁は何度か手がけた」という。「勇気がいるが、内容に自信があればやります。人文系でこんなに共感できた本はあまりない。ゴチックは、その強さをきちんと主張するということです」
 
 他の装丁家も、本の内容を読み込んで、メッセージを素直に打ち出そうとしていた。その結果が「活字ばかりでゴチック」の装丁となったのだろう。
 
 本は中身を十分に知らずに買う商品だ。だが、異例の装丁は、中身の良さをそっと教えてくれる。