東日本大地震

 午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とする大震災「東北地方太平洋沖地震」が発生。地震の規模を示すマグニチュード8.8は「記録が残る1923年以降国内で最大。昨年2月のチリ大地震(M8.8)に匹敵する世界最大級の地震」(朝日新聞3月12日付朝刊)となった。
 
 地震対策が甘かったか、東京都千代田区にある勤務先の8・9階のフロアは本棚やラックが倒壊し、足の踏み場もなくなる。緩やかな地響きに始まり、次第に大きくなる揺れに思わず席を立ったが、激しい横揺れは社内を揺るがし、「これは現実なのか」と恐怖を味わった。
 ものの30秒も経ったか、高さ2メートルほどの背面のラックが倒壊し机を直撃。周囲のスチール棚なども倒れたり、積んであった雑誌類が床に散乱。いつ止むやも知れない激しい揺れに、女性のアルバイトさんたちも激しいショックを受けていた。とりあえず、社内にケガ人が出なかったのは幸いだったが、被災地では壊滅的な被害を被った様子で、被害の全貌はまったく予断を許さない状況だ。
 
 午後4時半に退社。およそ20kmほどの距離を5時間20分かけ、徒歩で帰宅した。これが東京直下型の地震だったら、周囲の火災や建物の損壊などにより、当日の帰宅は不可能だっただろう。今回、ぼくが目にした限りでは、四谷、新宿、笹塚周辺で建物等の被害は幸いにして見当たらなかった。春近しとはいえ寒さの残る3月の上旬、コンビニでトイレに並ぶ列があちこちで見られたほか、携帯電話がまったく繋がらない中、公衆電話に行列ができていた。ほかに変わったところでは、自転車を買いに並ぶ人々の姿が目に付いた。なお、携帯はまったく使えない状況だが、iモードメールであれば、遅くとも夜9時ごろには繋がっていたと思う(センターに問い合わせることで、受信が可能)。
 
 阪神淡路大震災では祖母が被災するなど、傷痕を体験したつもりではあったが、今回は改めて震災の恐ろしさを生々しくも肉体的に体験した一日となった。国を挙げての、一日も早い被災地の復興を祈らずにはいられない。