革命家の「カテキジス」

 『悪霊』全体を読みとおした読者は、そこに描かれるおびただしい数の死に、あるいは小説全体に満ちわたる恐ろしいまでのグロテスク性に、驚きの目を見はるにちがいない。自殺者が三人、殺害される者が六人、病死者二人、しかし他にも、象徴的ともいうべき死をとげる人物が二人登場するが、ドストエフスキーの他のどの小説を見ても、これだけの数の死が描かれる作品は他に存在しない。 (第1巻巻末「読書ガイド」p.498)
 
 先月の20日亀山郁夫ドストエフスキー『悪霊』(全3巻)刊行がスタートした。亀山訳では『カラマーゾフ』全4巻+別巻が2006年9月〜07年7月、『罪と罰』全3巻が08年10月〜09年7月の刊行だったので、本書も最終刊が上梓されるのは来夏頃か。間が開きすぎるのがつらいところ。
 
 個人的に言うと、ドストエフスキーの後期5長編の中では『白痴』がいちばん「泣ける」小説だけど、『カラマーゾフ』と『悪霊』はやはり別格で、何度読んでも新しく、これまでに5、6回は読み返してきた。
 他の長編小説と同様、『悪霊』にもモデルとなる事件が存在していて(ネチャーエフによるイワーノフ殺害事件)、当初は彼ら革命家を糾弾し、カリカチュアライズする小説を執筆するはずだったという。しかし、構想から9か月ほど経た1870年8月初めのある日、作者の脳裏に「とつぜん新しい主人公像が浮かび」あがる。
 
 「いっさいはスタヴローギンの性格にあり、スタヴローギンがすべて」 (p.502)
 
 扉裏、エピグラフに掲げられたプーシキンの詩とルカ伝の一節が、読む者の心を否応なくはやらせる、世界第一級の文学作品である。
 

悪霊〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

悪霊〈1〉 (光文社古典新訳文庫)