「ライ麦畑の捕獲者」没す

 「あの唄は知ってるだろう。『誰かさんが誰かさんをライ麦畑でつかまえたら』っていうやつ。僕はつまりね――誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ
村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』より 訳文一部省略)
 
 
 
 沈黙する作家、謎めいた表現者、20世紀最後の伝説、J・D・サリンジャーが老衰により91歳で死んだ。ホールデン少年の「反抗」はナイーブな時代精神の一つの反映に過ぎなかったのか、それとも、人間存在を神話的に貫く、普遍的な啓示に満ちた「物語」だったのか。
 寡黙な「ライ麦畑のキャッチャー」サリンジャーが同時代の人間として、困難な時代を今日まで生きながらえていてくれたことに、ある種の感慨を抱かずにはいられない。
 
 
 

ライ麦畑でつかまえて」のサリンジャー氏、91歳で死去(CNN.co.jp 2010.01.29 Web posted at: 10:47)
 
 1951年に出版されたロングセラー小説「ライ麦畑でつかまえて」で知られる米作家、J・D・サリンジャー氏が27日、老衰で死去した。91歳だった。遺族が同氏の代理人を通して発表した。
 発表によると、同氏は昨年5月に腰を骨折したが、その後の健康状態は非常に良好だった。年明けから急に衰弱していたものの、苦しむことなく死を迎えたという。プライバシーを主張した生前の姿勢を尊重し、葬儀は予定されていない。
 
 サリンジャー氏は1919年1月1日、裕福な食肉輸入業者の息子としてニューヨーク市内で生まれた。ペンシルベニア州の陸軍学校を卒業後、3カ所の大学で学び、42年に米軍に入隊。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦にも参加したが、精神に異常をきたし、軍病院に入院した。
 40年から執筆活動を始め、短編小説を中心に30余りの作品を発表。これらは米誌ニューヨーカーなどに掲載されたほか、「ナイン・ストーリーズ」(53年)などの短編集にまとめられた。長編の代表作「ライ麦畑でつかまえて」は若者らから熱狂的な支持を獲得。「フラニーとゾーイ」(61年)をはじめ、「グラース家」という一家を描いた連作を相次いで発表したが、65年を最後に沈黙していた。
 
 公の場で発言することはまれで、プライバシーにこだわり、伝記作家らを相手取って訴訟を起こしたこともある。生涯で3人の女性と結婚し、2人目の妻との間に息子と娘がいる。
 
 
サリンジャー氏死去 姿見せず「伝説」生きぬく(www.asahi.com 2010年1月29日11時56分)
 
 27日に亡くなった米国の作家J・D・サリンジャーさんは、代表作「ライ麦畑でつかまえて」に殉ずるかのように、半世紀もの間公の場に姿を見せず、「伝説」を生きぬいた。
 
 世界中の若者の心をつかんだ永遠の青春小説「ライ麦畑でつかまえて」(1951年)は、高校を中退したホールデン・コールフィールド少年の目を通して、大人社会の「いんちき」を告発した長編だ。若者のバイブル的な存在となる一方で、反抗を促すとの批判も出て、禁書とする学校や図書館が相次いだ。
 80年に歌手ジョン・レノンが殺害された時には、射殺犯が愛読していたことでも話題になった。日本でも野崎孝訳がロングセラーになっており、多くの表現者に影響を与え、映画や音楽のモチーフにも使われた。
 
 サリンジャーさんは53年以降、騒ぎから身を引くようにニューハンプシャー州コーニッシュの高い塀に囲まれた建物にこもった。60年ごろから禅や俳句など東洋思想に傾倒し、難解さを深めていった。
 翻訳家の鴻巣友季子さんは「わずかな作品を書いたのちに沈黙したランボーや、素顔を知られていないピンチョンのような作家がいるが、その両方を兼ね備えた、まさに『生きる伝説』だった。書かないことや人嫌いであることまでが作風のように考えられ、それを含めてサリンジャー文学を形成していた。『ライ麦畑でつかまえて』を超えるような影響力のある青春文学は、その後、現れていないのではないかとすら思える」と話す。
 03年には、「ライ麦畑」を村上春樹さんが新訳して「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の題で刊行され、再び注目を集めた。日本で翻訳する時も、顔写真の使用を認めず、作者の略歴や訳者の解説を加えてはならないという要請があったという。