万人が訴訟する未来

裁判員制度スタート、7月にも初の裁判員裁判 (www.asahi.com 2009年5月21日15時4分)
 
 市民が刑事裁判に加わる裁判員制度が21日、施行された。同日以降に起訴された重大事件が対象で、初めての裁判員裁判は7月下旬ごろに行われる見通し。各種の世論調査では多くの市民が消極的で、制度や運用の見直しを求める声も多いなかでのスタートとなった。
 
 森法相は同日午前、法務省で記者会見し、「『お上の裁判』から『民主社会の裁判』へと司法が大きく変わる」と制度の意義を強調した。参加に不安を感じる人が多いことを踏まえ、「必要とされているのは国民が日常の中で培った感覚や視点。肩の力を抜いて、自然体で参加してほしい」と呼びかけた。
 参加をためらう理由として死刑の判断にかかわることを挙げる声があることについては「ある意味で当然のこと。ただ、死刑制度によって社会の秩序が保たれている現状がある。国民的な議論が起きるのは歓迎すべきことだ」と述べた。
 
 裁判員法は3年後の制度見直しを定めている。森法相は「運用については状況を見ながら反映することは十分ありうる」と述べ、3年を待たずに必要があれば運用面の改善をはかる意向を示した。
 

 司法制度改革審議会が、最終意見書『21世紀の日本を支える司法制度』を内閣に提出したのは今から8年前の2001年6月12日。第IV章「国民的基盤の確立」の中で、「刑事訴訟手続において、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる新たな制度を導入すべきである」と提言した。
 
 “法曹人口の拡大”を目指し、一足早く2004年に鳴り物入りで導入された「日本版ロー・スクール(法科大学院)」の方は、未修者コースの3年間で莫大な入学金と授業料を払わされながら、大学により新司法試験の合格率に大きな差が露呈。04年開設68大学院のうち、22大学が第三者評価で不適合の評価を下され(09年4月現在の法科大学院数は74)、改革はすでに頓挫の様相を呈している。
 
 そもそも日本における一連の“司法制度改革”は、80年代の日米貿易摩擦に端を発する日米構造協議を経て、日米政府間で取り交わされるようになった悪名高い「年次改革要望書」に盛り込まれたところから始まる(関岡英之『拒否できない日本』、ただしアメリカは日本に陪審員制度の要請はしていないという)。
 
 「司法の国民的基盤の確立」というといかにも聞こえはいいが、1999年の「会計ビッグバン」(時価会計導入と連結重視の決算)に象徴される“グローバリゼーションの嵐”が吹き荒れる中、国民の生活の中で「裁判の民主化」の是非が唐突に浮上してきたことに違和感を覚えた人は、決して少なくはないだろう。「万人が訴訟する社会」――その目論見の彼方には、いったい何があるのか。